村越誠の投資資本主義

グローバルな情報をもとに投資資産を積んでいく慎重派投資家

おすすめ書籍感想文

メタの株価が暴落してから一定程度回復した軌跡を振り返る

【参考書籍】

フェイスブックの失墜

メタの株価暴落は随分前から芽は撒かれていたように思われる。

上記書籍を読んだのだが、この書籍からは企業文化・ビジネスモデルへの深い理解をきちんと考慮して投資をしないと、いつか遭遇する思わぬ暴落に巻き込まれることになるんだなと感じたので、今回はそのことをまとめていきたい。

上記書籍を読むと、メタ(旧フェイスブック)は上場前段階からかなり会社的に問題を抱えたまま走り出し、その構造的雑さを抱えたまま会社が大きくなりすぎたというのがはっきりとわかる内容であった。

まずメタが飛躍した要因を振り返りたい。
上記書籍を読んでいくと、メタの飛躍は確かにザッカーバーグ氏の開発技術がベースになっているのだが、どうやらマネタイズ手腕はさほど高くなく、ザッカーバーグ氏だけではここまでメタを大きくすることは不可能だったように思われる。
メタの飛躍は、フェイスブックで収集した個人情報データを広告でマネタイズする方向に全振りする旗振り役をしたシェリルサンドバーグ氏の手腕が大きいことがわかる。
しかし、 若い企業ということもあり、サンドバーグ氏もザッカーバーグ氏もコンプラ意識が薄いまま飛躍してしまったために、ビジネスモデル上発生し得るであろう問題を無視したまま突っ走ってしまった。
単に個人情報データの取り扱い方に問題があるというだけでなく、フェイク情報・デマを効率的に拡散させるツールとしての威力が大きくなってしまったためにどこまでフェイスブック上での言論の自由を保障するのかという哲学的な問題にまでぶつかってしまった。
しかもこれに対する問題の取り組みは両者とも遅く、対応も稚拙であった。
こうして政治的な吊し上げを食らい、従来のビジネスでも頻繁に政治的・技術的介入が入ることになってしまい、成長率が落ちていくとともに、批判に耐えられなくなったサンドバーグ氏が辞任してしまった。

これによってこれまでマネタイズを先導してきた重要人物が社内から消えてしまったのである。
これに抗う形で、ザッカーバーグ氏は自分で新しいビジネスアイデアをひねり出す必要性に迫られてしまった。
しかし、前述したようにザッカーバーグ氏はマネタイズ手腕はあまり高くないと言わざるを得ない。
そのためにおそらくサンドバーグ氏がいれば止めたであろうメタバースという、ひと昔前のセカンドライフみたいな意味不明なものに巨額の開発投資を決めてしまったのである。

最終的にはここに米国の金融引き締め・景気鈍化が加わったために、メタの株価は380ドルから一時期は100ドルまで暴落してしまったわけで、こう見るとメタの株価暴落の芽は随分前から撒かれていたのだろうなと感じた。

【メタの株価チャート】
タイトルなし


ただし、その後株価は現在280ドル近辺にまで回復している。
これは株主からの圧力で、とにかく企業から無駄を削げ(ようはクビ切りしろ)ということになり、ザッカーバーグ氏は一旦全てを白紙撤回させる形でメタバース投資を停止し、利益に貢献しない従業員を粛清的にリストラした。
少なくとも収益源になっているフェイスブックもインスタグラムも人が根本的に離れているわけではないので、無駄費用さえ削減すれば少なくとも妥当だよねと思える位置にまで企業バリュエーションは戻るでしょうという評価になったのだと思う。
これは一応ザッカーバーグ氏が折れる形で対応したために、株価が回復してくれたことに注意が必要だ。
これがもしもっと頭の固い経営者であったり、既存事業が既に弱っている場合は暴落はさらに深いものであった・あるいは回復は遅々として進まない形になっていた可能性がある。

このように長期投資するなら、自分が投資している会社の企業文化やこれまでの経緯を知ることは必須なことがわかると思う。

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経済指標開発の歴史に関する本を読んだ感想まとめ


経済指標のウソ 世界を動かす数字のデタラメな真実

読んだ書籍の中で久しぶりに感想を書きたくなったレベルだったので、まとめてみました。

タイトルが「経済指標のウソ」ということで、タイトルだけ見るとお前副島隆彦みたいな陰謀論者かよと思われるようなものだが、実際は統計開発の歴史をなぞっていった歴史書ということで、読んでなるほどと思うところがたくさんあったので、今回ブログで取り上げることにした。
(そもそも元々の表題が原題は「THE LEADING INDICATORS」、副題は「A SHORT HISTORY OF THE NUMBERS THAT RULE OUR WORLD」なので邦題が全く本の内容とそぐわない。)

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経済指標という歴史は非常に浅いものであり、その必要性から開発されたのが大恐慌以降、精度が高められていったのが戦後といった形で、その歴史は下手すると50年程度しかないことがわかる。

まず大恐慌時代になぜあれだけ経済がひどいことになったかというと、政府が現在経済で何が起こっているのか把握するための経済指標がなかったことが大きい。
失業者が明らかに増えていることはわかっていたのだが、実際にどれぐらい増えていたのか、またそれに対して政府がどれだけ支援をする必要性があったのかを判断するためのデータがなかったのである。
これが大恐慌があれだけ長期間にわたって不況を続かせた原因であった。

しかしこれを体験した米国は不況時に政府がどれだけの対応をする必要性があるのかを把握するための経済指標の必要性に気づき、開発に動くことになった。
ただし経済指標はそのデータの作成の仕方は今もそうだが試行錯誤を重ねていき、時代とともに経済の実態を表す適合性があるのかどうかが常に疑念を持たれながら進化していった。
昨今IT技術の進化で急速に社会が変化する中で、はたしてGDPなどのデータが果たして現在の経済をきちんと反映してきているのか疑問がもたれることは当然で、当局は過去との比較性を維持しながらもどうにか適合できるようにできないかと四苦八苦しながら今後も工夫していく必要性が出てくるだろう。

また経済指標というのはその性格上政府や中央銀行が政策を決めるためのツールとしての役割から発展してきた。
そのため、個々人が感じる実態とは乖離するケースは多々あり、この点は常に批判が発生する話である。
個々人が自分の生活と比べるためのツールではなく、もっと大きな政策の方向性を決めるためのつーるなのだからそうなるのは仕方がない。

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こういった大雑把に重要な点をまとめると経済指標を分析する上では以下のような点を気を付けながら見ていきたいと思う。

・経済指標のデータの集め方はどのように行っているのか、また時代の変化に伴って不都合や漏れは生じていないのか
・当局はデータを見ているのか、また政策にどのように反映させようと考えているのか
・経済指標だけで未来を測るのは難しいので、バランス感を常に持っておきたい。

こういったところだろうか。

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「スッキリ中国論」の書評と中国株投資へのヒント


スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

さて書こう書こうと思って長引いていた書評を書こうと思うが、全部書評を書いてもしょうがないので、相場に関係ありそうなところだけピックアップして論じようと思う。

この書籍では日本人と中国人の根本的な価値観の違いについてきちんと述べている。
一番重要なポイントは中国人は「量」で物事を常に考えるということにあるだろう。

日本人はいわゆる何事も「スジ」で考えるので、例えば金の使い方一つでもスジがあるなしで支出を決定する。
そういった意味では著者は日本は格差が見えにくいというのは至極真っ当な指摘だろう。
一方で中国は金の使い方一つでも「量」で考える。
金があればそれに見合った使い方をするし、金がなければそれに見合った使い方にまでレベルを落としてくる。
だから金があれば、今までバスや電車通勤だったのが、自家用車通勤だったりタクシー通勤になったりする。金持ちは金をばらまくことを社会から期待されているのである。
だから中国人の支出というのはすごく手元に今いくらあるのかに左右されがちになることが推測される。
そう推測すると2018年に急速に中国景気が悪化したこともうなずける。
デレバレッジを進めたことと米中通商問題が重なったことにより融資を受けられなくなったり、IPOできなくなったりした企業が続出したために、みんなそれに見合った支出にまで一気に絞りにいったのだ。
しかし、足元では逆に中国政府が財政支出拡大による景気刺激と金融緩和や銀行への窓口指導による融資の拡大を積極的に支援している。
つまり中国人の手元にお金がある状態に変化しつつある。
また、投資の仕方についても非常に量を気にする投資の仕方をするので、金があればそれをどう株価を上昇させるかを軸に投資を行うので、それが利益を度外視した巨額投資が行われる背景でもある。
そしてこの書評で論じていた中国人は「量」で物事を考えるというクセを考えれば、日本よりも断然財政支出や金融緩和効果が波及しやすい経済構造になっていることが想像できる。

二つ目にさきほどの「量」で考えるということが非常に競争的な社会構造を作っていることも把握しなければいけない。
物事の成否を「量」で考えるということはそこには勝ったか負けたかが最重要項目であり、さらにその勝ち負けを分けるのは「量」であるという社会通念が強い。
このことが中国社会の昨今の異様とも思える教育熱の根源にあるのだと思う。
量で勝っていくためにそこまでやらなきゃならんのかというぐらい子供にプレッシャーを与えて勉強をさせる。
最近ではあまりにも教育熱が高すぎるところもあるということで、学習塾に教育時間の制限を設けるといったことまで中国政府は行っている。
量の制限は中国政府がやらないと歯止めがきかなくなるのだ。
ただ、この量で攻めるというのも追いつき追い越せの経済では正義だが、本当に豊かになって新時代を切り開かなければいけなくなった時には通用しなくなるので、中国はそろそろ新しい価値観の打ち立てが必要になるのではないかと感じる。

最後に三つ目としてこの「量」の価値観というのは非常にスマホと相性がいいということもある。
中国人は組織への忠誠などというものはなく、個人がアグレッシブに生きていくという性格が強いので、スマホアプリでのスキマ産業がありえないほどのスピードで普及する。
それに中国人はスマホの登場で初めて政府が発する情報以外を生で触れる機会にようやく到達することができ、スマホは中国人にとってあらゆる生活の場面で必要な家電となった。

かなり書きたいことは多いが、細かいところまで書いていくときりがないので、一度読んでみた方が早いと思う。
少なくとも中国経済分析する人は中国と日本は地理的に近いが全く考え方が違い、経済刺激策や金融緩和の効き方も大きく変わると感じる必要があるだろう。
 

週刊ダイヤモンドでの「ラーメン店経営者」の話を抜粋




ふとラーメン店の経営者の話が書いてあったので

・客が「この店味が落ちた」という時は、実は店主は味を変えていない。
・実は客の舌が進歩し、飽きられたことが原因だ。
・これに対応するにはちょくちょく味を変えて驚かせなければいけない 

つまり何もしないだけで、
「この店は徐々に退化している」
と思われるのだ。 

「日銀はこうして金融政策を決めている」を読んで





ひとつ読んでいてメモしておきたいことが書いてあった。

日銀短観は先行き・足元の業況判断指数があるが、
景気回復時は足元より先行きのほうが低く、
景気後退時は先行きより足元のほうが低くなるという
普通に考えると、「逆なのでは?」と思う現象が生じるらしい。

しかしどうやら実はこれが正解のようだ。

景気回復時は、大抵の企業とかは先行きに関して
「景気は回復してるように見えるけど、楽観できない」
と答えがちなので、足元は「回復している」が、先行きは「楽観できない」と
答えるようだ。

逆に景気後退時は、景気が上から落ちてる最中なので、
足元は「悪い」が、先行きについては「前までよかったし大丈夫なのでは」
と考えがちになるようだ。

ちなみに企業は上期の利益は上方修正しやすいが、
下期は下方修正されやすいという癖もあるようだ。
これは普通企業は年度で計画を立てるが、
いくら上期が好調でも、下期の見通しを引き上げてミスをするのが嫌なので、
下期見通しを引き下げることが多々あるようだ。

 あとは製品在庫水準判断指数についても、先行きは足元より低くなりがちのようだ。
これは経営者の「減らしたい」という楽観的な見通しを多分に含んでいるかららしい。 
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村越誠

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