How the Swiss ‘trinity’ forced UBS to save Credit Suisse

既に準備されていた救済合併であった。

上記FT記事は非常に興味をそそられる内容であった。
なぜかというと今回のUBSによるクレディスイス買収劇についての裏側がこれでもかと書かれていたわけであり、今回の買収劇はこれまで土曜日~日曜日の2日間でまとめられていたものと認識していたが、実態は先週の水曜日から検討されていたものであり、5日間に渡って詳細が詰められていたものであったことがわかった。

流れとしてはこうだ。
米国のSVB・シグネチャー銀行ベイルインによって、水曜日の時点でスイス当局は既にクレディスイスの流動性が危ういことは承知していた。
さらにサウジからの追加出資も難しそうだということがコンファレンスで話されていたこともあり、この時点でクレディスイスの流動性危機を止めることも不可能だとこの時点で悟っていたようである。
そのため、水曜日にスイス当局はクレディスイスのトップを呼び出し、「お前UBSと合併させるから」と死刑宣告をしていたようである。
そしてスイス当局は木曜日夕方時点で、週末のラグビー観戦を楽しみにしていたUBSトップを緊急で呼び出し、クレディスイスとどう合併するのかを協議する缶詰に入っていたようだ。

ここで思い出したいのはリーマンショックとの違いである。
リーマンショックの時は主要プレイヤー全員が高いレバレッジをかけていて、かつ中身にサブプライムという爆弾を抱えた状態で含み損が一体資本のどの程度あるのか不明な状況の中で、さらに当局が買収する先を探してもそもそも買収先も同様にアセットクオリティがどうなっているか予想つかない中でそのようなリスクを取ったら自分も死んでしまうということで、受け皿的な役割ができる金融機関がほとんどいなかった。
JPモルガンがベアスターンズ、バンカメがメリルを救済買収したが、そこで比較的健全な金融機関はいなくなり、もうその後は誰も救済買収できるような金融機関はいなかったというのがポールソン回顧録では記載されている。

【参考書籍】

ポールソン回顧録

一方で今回のクレディスイス救済買収はより秩序立っていたものであった。
クレディスイスイの最大の問題は顧客預金が流出していることにあり、リーマンのようなどういった爆弾資産を抱えているかではなかった。
あとは訴訟の問題もあるが、訴訟についても全く損失金額が不明ということではなく、この辺が限度という目途もあった。
そのため、UBSとしても救済買収するにしてもこのぐらいの値段ならという算段をはじきやすかったように思うし、スイス当局もそれを理解していたわけである。

そして救済合併するにおいては、場合によっては今後税金を場合によっては使う可能性が否定できないということもあり、スイス国民感情を一定程度汲むためにAT1債は全損させて資本に割り当てようという決断をしたようである。
(あとはクレスイのAT1債が一応目論見書的に全損させる条件の中に政府支援トリガーが入っていた)

以上から当局はおそらくクレディスイスについて今後どうするかはかなり前の段階から算段を立てていて、もう駄目だとなったところで一気に緊急対策を立ち上げてUBSに救済合併させるところまで持っていったのである。
つまり下記過去記事で書いていたよりも、より今回の救済買収劇は秩序立っていたわけである。

【過去参考記事】

総動員で強引にゴールまで持っていったUBSのクレディスイス救済合併

これだけお膳立てされたものがリーマンショックと同様なことが起こると考えるのは、はっきりいってナンセンスだろう。
確かにSVB・シグネチャー銀行破綻は当局の準備不足感はあったが、少なくともG-sibについては当局は相当対応準備していることが今回判明した。
未だにそうはいってもと思う人は、先ほど紹介したポールソン回顧録を読んで、リーマンショック当時はどれだけ当局対応が間に合っていなかったかも知るべきだろう。

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