サッダーム・フセイン - Wikipedia



いや、あんまり結末は変わらなかったかも。

今の中東情勢の混乱原因はひとえにイラク戦争によるサダムフセインの失脚がきっかけになっている。
ご存知の通り中東地域の国境線というのは欧州列強によっててきとーに引かれた国境線であり、部族・民族や宗教などできちんと引いた国境線ではない。
そのため、政治家が自分の権力と利益を確保するために特定の部族・民族・宗教をえこひいきすることにより国内の争いの火種が大きくなっていき、最終的には内戦のような状態にまで発展しがちだ。
しかもそこに大国(主に米国・欧州・ロシア・イラン間だが)の思惑が絡むことにより、より複雑な武力闘争が行われるという事態になる。
イラクという国家は特にシーア派イランとスンニ派サウジアラビアの中間点におり、加えて北の方にはクルド人も住んでいるということもあり中東国家の中でも部族・民族・宗教バランスを取るのが非常に難しい地域である。
しかもそこに石油資源が絡むので、より利益闘争というのは激しくなる。
そこをサダムフセイン時代はサダムフセインの強権的独裁によって無理やり押さえつけていた。
その押さえつけ方はどの部族・民族・宗教にも言い方を変えれば平等に圧力をかけることにより、特定の集団が声高に利益を主張しないように暴力を振りかざしながらバランスを取っていた。
しかしイラク戦争によって米国がサダムフセインをイラクから追放してしまったことにより、各利害関係集団がここぞとばかりに利権を巡って争いをを始めてしまった。
そしてこれを米軍はコントロールすることができず、そのため各利害関係集団に周辺国や大国の思惑などが重なってアンコントローラブルに陥ったというのがイラク戦争以降のイラクの現状である。

ではイラク戦争を回避し、サダムフセインが大統領に居座り続けることができる未来があったのかというのを考えると、サダムフセインのウィキペディアを見る限りは難しそうに感じる。
サダムフセインの経歴を見ると元来暴力を行使していくことによって成り上がってきたというのが伺え、常に暴力をもって物事を推し進めるインセンティブが当人の中では高かったことは間違いない。
しかもイランに対抗するために様々な支援を欧米から受けてきたサダムフセインは途中から何を勘違いしたのか武力をあからさまにイラン以外の周辺国に振るうといった暴挙に出ていた。
加えてシーア派が多いイラクにおいて背後に革命を輸出してシーア派を支援している武力大国イランがいることから、少しでも弱みを見せることは即死を招きかねないということもあったのだろう。

こうしたサダムフセインの得意とする強権暴力による支配と欧米から支援を受けてきたことによる武力大国の指向が結果的に最後は米国との仲たがいを生み、イラク戦争へいたったわけで、やはりサダムフセインの暴力性は遅かれ早かれ先進国に脅威と見なされる運命にあったのではないだろうか?
一方でイラクを統治するにはそれだけの暴力性を持った指導者でないと難しいというのも真であり、結果的にイラクは現在のような混迷に陥る運命は避けられなかったように思われる。

なお、イラクやイスラムについては下記書籍を参考にしてほしい。


イラクとアメリカ 


現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義 (講談社現代新書)