スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

さて書こう書こうと思って長引いていた書評を書こうと思うが、全部書評を書いてもしょうがないので、相場に関係ありそうなところだけピックアップして論じようと思う。

この書籍では日本人と中国人の根本的な価値観の違いについてきちんと述べている。
一番重要なポイントは中国人は「量」で物事を常に考えるということにあるだろう。

日本人はいわゆる何事も「スジ」で考えるので、例えば金の使い方一つでもスジがあるなしで支出を決定する。
そういった意味では著者は日本は格差が見えにくいというのは至極真っ当な指摘だろう。
一方で中国は金の使い方一つでも「量」で考える。
金があればそれに見合った使い方をするし、金がなければそれに見合った使い方にまでレベルを落としてくる。
だから金があれば、今までバスや電車通勤だったのが、自家用車通勤だったりタクシー通勤になったりする。金持ちは金をばらまくことを社会から期待されているのである。
だから中国人の支出というのはすごく手元に今いくらあるのかに左右されがちになることが推測される。
そう推測すると2018年に急速に中国景気が悪化したこともうなずける。
デレバレッジを進めたことと米中通商問題が重なったことにより融資を受けられなくなったり、IPOできなくなったりした企業が続出したために、みんなそれに見合った支出にまで一気に絞りにいったのだ。
しかし、足元では逆に中国政府が財政支出拡大による景気刺激と金融緩和や銀行への窓口指導による融資の拡大を積極的に支援している。
つまり中国人の手元にお金がある状態に変化しつつある。
また、投資の仕方についても非常に量を気にする投資の仕方をするので、金があればそれをどう株価を上昇させるかを軸に投資を行うので、それが利益を度外視した巨額投資が行われる背景でもある。
そしてこの書評で論じていた中国人は「量」で物事を考えるというクセを考えれば、日本よりも断然財政支出や金融緩和効果が波及しやすい経済構造になっていることが想像できる。

二つ目にさきほどの「量」で考えるということが非常に競争的な社会構造を作っていることも把握しなければいけない。
物事の成否を「量」で考えるということはそこには勝ったか負けたかが最重要項目であり、さらにその勝ち負けを分けるのは「量」であるという社会通念が強い。
このことが中国社会の昨今の異様とも思える教育熱の根源にあるのだと思う。
量で勝っていくためにそこまでやらなきゃならんのかというぐらい子供にプレッシャーを与えて勉強をさせる。
最近ではあまりにも教育熱が高すぎるところもあるということで、学習塾に教育時間の制限を設けるといったことまで中国政府は行っている。
量の制限は中国政府がやらないと歯止めがきかなくなるのだ。
ただ、この量で攻めるというのも追いつき追い越せの経済では正義だが、本当に豊かになって新時代を切り開かなければいけなくなった時には通用しなくなるので、中国はそろそろ新しい価値観の打ち立てが必要になるのではないかと感じる。

最後に三つ目としてこの「量」の価値観というのは非常にスマホと相性がいいということもある。
中国人は組織への忠誠などというものはなく、個人がアグレッシブに生きていくという性格が強いので、スマホアプリでのスキマ産業がありえないほどのスピードで普及する。
それに中国人はスマホの登場で初めて政府が発する情報以外を生で触れる機会にようやく到達することができ、スマホは中国人にとってあらゆる生活の場面で必要な家電となった。

かなり書きたいことは多いが、細かいところまで書いていくときりがないので、一度読んでみた方が早いと思う。
少なくとも中国経済分析する人は中国と日本は地理的に近いが全く考え方が違い、経済刺激策や金融緩和の効き方も大きく変わると感じる必要があるだろう。